命日
今日、7月17日は私の父の8回目の命日です。
肺がんでした。父は真面目で優しい人でしたが、とても神経質でこだわりの強いところがありました。今思えば、強迫神経症だったと思います。
父の事を書き出すときっと、まとまらずにとりとめのない文章になってしまうと思うので、止めておきます。
自分が歳をとっていくと、近しい人との永遠の別れに、幾度も遭遇することになります。人の死とは不思議なものです。
頭では理解できているのですが、「他界」という言葉のように、本当に別の世界があって、そこで暮らしているような気がするのです。
普通人の私でさえこんな風に思うのに、goriに親の死が理解出来るだろうか?
私がこの世からいなくなった時、一人息子のgoriはどうやって生きていくだろう。それを考えると1日でも長く生きていたい。
その時 そしてその後、goriが困らないように、今伝えられる事 精一杯伝えていこうと思うのです
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コメント
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こんにちは、anさん。
そうですね・・・生死とは、理解し難いですよね。
私も別の世界があるのではないかと思っています。
anさんのお気持ちが、少しずつ息子さんに伝わっていきますように・・・
投稿: 愛生 | 2005/07/18 12:46
親亡き後の障害を持つ子供のことを考えるのはとても辛い事ですよね。こっこには姉がいますが・・姉には姉の人生があるだろうし・・・
昨年度、養護学校の先輩お母さんが突然お亡くなりになりました。彼女は天涯孤独の身の上で・・・生涯を持った息子は施設に預けられたのですがお母さんを追い求めて施設を脱走して交通事故に遭いました。その後の事はよく分からないのですが・・すごく身につまされる思いをしました。親亡き後も笑顔で生きてほしい・・けれど・・・考えたくないけれど考えなくてはならないことですよね。わたしの今まで生きていた中で一番重いテーマです。
投稿: らんらんママ | 2005/07/18 16:36
>愛生さんへ
人の生死は不思議なものですが、人も地球上の生物の一つでしかないのでしょうね。ただ、思考する脳を持ってしまったが故の、苦悩なのかもしれませんね。
だんだんと解ってくれるといいなと思ってます。
ありがとうです。
>らんらんさんへ
本当に身につまされるお話ですね。
私の父のお墓参りに、物心ついた時からつれて行ってるのだけど、なんでなんでとなんでも理由を聞いてくるgoriが、「お爺ちゃんが墓石の下で眠っているんだよ。」と一言説明しただけで、それ以上は何も聞いてきません。
きっと自分の理解の範囲を超えていて、質問も思いつかないのでは…。
投稿: an | 2005/07/18 21:23
ふうっ、毎日暑いですね。
保護者の方が亡くなった後の生活の場をどうするかはすごく重い問題ですよね。私たち養護学校教諭もこのことはとても心配しています。彼らが支援を受けながら社会とのつながりを保って生活できる場を確保していくこと、私たちひとりひとりが考えていかなくてはならないですね。
投稿: やえもん | 2005/07/18 21:33
anさんの記事、そしてみなさんのコメントを読んで
住んでる国は違っても、障害を持つ親の思いは同じだなぁって
思いました。
子どもが小さい頃は「もっとお喋り出来るようになれば」とか
「少しでも社会性がつけば」とかっていう事を考えて
セラピーを受けたりしてたけど、だんだん子どもが大きくなるに
つれて、「将来、この子がちゃんと独り立ちして、楽しい人生を
送れるように」っていう方向に意識が変わって来てます。
ホント、「今 伝えられることを精一杯」伝えなきゃですね。
投稿: ちか | 2005/07/18 21:47
>やえもんさんへ
ホント暑いです。ボーとしてしまいます。
安心して死ねる(変な言い方ですが)社会環境が整ってほしいと願うと同時に、障害があっても、克服していける事がたくさんある様に、折に触れ命についても(生物の生死)学んでほしいと思っています。
>ちかさんへ
子供が成長するように、親の思いも変わっていきますよね。小さい頃は、今この時、これが出来なくては・・が大事でね。
最近は、今この時、これを伝えなければ・・って思いが大きいかな。完全な自立は無理だと思うから「あんまりしつこくして人に嫌われるよ」って つい言いすぎてしまうのよ。
投稿: an | 2005/07/18 23:25